Goldenes Lamm

Lange Gasse 26/28 Dinkelsbuehl 91550 Deutschland
TEL 49-9851-22-67   MAIL goldenes-lamm@t-online.de
URL www.goldenes.de

● 8月24−26日
 24日11時30分、Augsburg 駅ホームで、鉄道の旅を続けてきたD氏とわたし、Munichから一人ドライブを楽しんできたA氏、MunichからDusseldorfへ飛び、そこから引き返してきたB氏とが合流した。
 A氏の運転する車で ロマンティック街道を Noerdlingen まで北上。そこで、イタリアで奥さんと合流して帰国するD氏と別れた。後ろ髪を引かれる思いだった。なにしろ、18日から7日間、一緒に旅をしてきたのだから。

 最終的には Heidelberg をめざすわたしたち三人は、さらに北上してディンケルスビュールに宿をとった。翌25日はRothenburg を往復し、26日に、Creglingen 経由でハイデルベルグをめざした。


■ ホテル−レストラン「ゴールデン・ラム」

 ロマンティック街道の宿としては、ローテンブルグの「アイゼンフート」が有名らしいが結構な価格であったこと、B氏が○十年前にロマンティック街道を訪れた際、ツアーバスはこの街の城郭の外側をたどっただけで、中を見られなかったのが心残りだったことから、ディンケンスビュールに決めた。

 写真右は街の中心・聖ゲオルグ大聖堂。そこから少し離れた目立たないところに、このホテルはある。玄関上では、その名のとおり「金の羊」が待っている(写真左)。



■ フロント
 同行のA・B両氏。市内の道路状況を聞いている。答えるはこのホテルの若女将。片言でならば、7カ国語はできるという。左奥にレストランがある。
 写真右はフロントの前のロビーというか、パブリックスペース。



■ 客室

 2階で、ツイン。男二人でハリウッドタイプでは困るので、「セパレートタイプでしょうね」とA氏がしっかり確認したうえで、予約してくれた。
 シーツと枕カバーの交換はなし。掛け物は羽布団。枕には Gute Nachat の手書きのメッセージとキャンディが置かれていた。写真左の手前の黒いものは、日本でも珍しくなったブラウン管テレビ。その下が冷蔵庫になっていた。


 冷房はなかったが、窓を開けておけば暑さは感じなかった。虫も入っては来なかった。
 一泊目は、窓を一カ所開けておいた。07:00過ぎまでぐっすり眠った。二日目は暑いと感じたので、二カ所を開けておいた。06:00、教会の鐘が響き渡り、目が覚めた。
 晴天なのに、窓に水が垂れてきた。上の階で花に水をやっていたのだろう。



■ バスルーム
 タイル張り。床が水で濡れることはなく、清潔だった。シャワーブース、水圧は十分。一泊目は排水が詰まり気味だったが、二泊目には改善。タオルは交換されていた。
 写真右のプレート。このホテルの歴史が記されている。目抜き通りのあるホテルには、
「1546年4月3−4日、神聖ローマ帝国皇帝カール5世 宿泊」というプレートが掲げられていた。



■ ホテルの裏庭
 駐車場からだと、ここを通ってホテルの2階に入れる。表だけでなく、裏も花で飾られている。プールサイドにも置かれている椅子で、思いっきり背伸びをしたら、気持ちいいだろうなぁ。後ろからは手首だけが見えたけれど、だれだったのかなぁ。Bさん、やってましたぁ?
 6台はいる駐車場には、スイス、オランダからの車もあった。ヨーロッパは陸続きだということを実感する。




■ レストラン
 このホテルの売りは料理でしょう。
 この旅で最もうまいと感じたのは、この料理。牛肉のコンソメスープ煮込み、絶品だった。


 朝食のレストラン。各テーブルの先客にあいさつしたくなる雰囲気があった。若女将は日本語であいさつしてきた。それに習って、わたしも日本語であいさつすることにした。
 品数は豊富だった。D氏から、ドイツはパンが美味しいと聞き、認識を新たにした。B氏には、キュピスケルンブロートヒェンは水平方向に切り開いて食べるのだと教えてもらった。

このホテルは家族経営だ。日本で言えば、民宿かペンションだろう。奥まったところにあるが、なかなかの水準に達していると思う。

 そのほか、B氏が流ちょうなドイツ語で聞き出したこと。
 このホテルでは、ランドリー・サービスはやっていない。この町には洗濯屋がないんだそうな。じゃあ、シーツ類の洗濯はどうしているのだろう。人口が1万人超なのに、クリーニング屋はないのかなぁ。
 日本人で泊まる人はいない。レストラン利用はあるけれど、ツアー客と駐在員だそうな。(09.09.29記)